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災害支援、救援物資「団体ができること・個人ができること」

新潟で直下型地震が起こって、心がいたまります。
7月の福井水害の時もそうだったけど、阪神大震災経験者としては、
「震災」の方が、あの揺れを思い出して、ビビリます…。

いろんなblogで「必要とされている物資を送ろう!」とかあるのですが、
7月の福井水害時にボランティアセンターを仕切っていた面々
生の声を聞くと、現場としては「市役所などに届くものは、
ある一定の数量がない限り、不平等になる(避難所の方全員に
配れない、等の意味で)」ので、結局積み上がるのみとなるおそれもある。
むしろ送らないで欲しい。というのが本音とのこと。

つまり、数千とか、最低でも数百レベルのまとまった単位の物資でないと、
実際に配布されない可能性が高い、ということです。
#ちなみに、うちのダンナが仲間で送った物資は「干し柿1,000個」(笑)


救援物資について、考え方として非常に参考になる毎日新聞のコラムを転載します。

技能がある方は、必要な装備と食料その他持参の上、現地へボランティアへ、
そうでない方は、義援金を。
これが、一番ではないかと、そう思います。





島原で救援について考えた/物資の洪水、地元に弊害/
個人は現金、原則に/団体は現地商店経由で/
雲仙・普賢岳噴火災害救済

神戸 金史(島原支局)

 長崎県雲仙・普賢岳の噴火災害は、43人の犠牲者を出した1991年6月3日の大火砕流から数えて1000日が経過した。火砕流と土石流は今も頻発、ふもとの島原市と深江町では4800人以上が避難生活を強いられている。例を見ない長期災害に、全国からたくさんの善意が届けられた。約40万件、230億円の義援金と、衣類、食料品など「数え切れないほど」(島原市)の物資。この善意に、住民がどれほど励まされたことか。私も「こんなにも雲仙を心配してくれる人がいる」と感激した。
 が、あえて言いたい。被災地には安易に救援物資を送るべきではない、と。意外に思われるかもしれないが、救援物資は地元の商店街を苦しめるなどさまざまな弊害を引き起こした。昨年の北海道南西沖地震の被災地、奥尻でも同様のことが起きている。このままだと、どこかで必ず同じ弊害が繰り返される。島原で、災害救援のあり方について考えた。
 大火砕流の発生と共に「善意の洪水」が始まった。島原市と深江町は保管場所の確保に追われ、農協倉庫や水を抜いたプールなどで何とかしのいだ。市は、多い日には当時の職員の5分の1以上に当たる約60人を仕分けに動員。「緊急にやらなければならない災害対策に手が回らなかった」とこぼす職員もいた。
 しかも、全物資の7割が古着で、黄ばんだ下着や賞味期限が切れた缶詰やジュースも大量に交じっていた。「古着は、箱詰めにして町内会に渡し、処理は住民に任せています」と市の担当職員。物資に込められた思いを考えれば、簡単には捨てられない。任された住民も困ったはずだ。
 昨年秋、南西沖地震の救援物資に関する衝撃的な記事が載った。「奥尻への善意を焼却処分」の大見出し。古着や食料品が入った野積みのダンボール箱約500箱を、運輸業者が腐敗などを理由に廃棄した、という内容。ある新聞は、行政の管理責任を厳しく追及していた。しかし、倉庫からあふれるほどの「善意」をどうやって管理すればいいのか。島原市のボランティアは「現地の状況を知っていながらこんな記事を書くなんて」と怒った。
 北海道には、郵政省の無料郵送だけで1カ月に32万箱の物資が集まった。普賢岳災害にに3カ月で集まった物資6万個の約5倍。管理しろという方が無理だ。
 しかし、私は、そうは書けなかった。物資が届けばうれしいし、送り手の気持ちも考えたからだ。ある町内会長(43)からは「善意は気持ち。物資を送るな、などとんでもない」としかられた。だが、今も届く古着を見て、書かなければと思い直した。
 災害救援のプロの日本赤十字社の石塚善行救護係長は「衣類が必要なのは初めの数日間だけ。日赤は、災害が起きやすい地域に衣類や『日用品セット』などを配置しており、日赤と行政でほぼ対応できる」と言う。「こんな物でも無いよりは」の気持ちはありがたいが、送り主が考える必要な物と現地で必要なものにはギャップがあるのだ。
 物資は、個人からだけでなく、企業・団体からも届く。量が多い分、後者の方がはるかに影響が大きい。約1500戸の仮設住宅には、全戸にテレビやクーラーが寄贈された。美談として取り上げられたプレゼントに、市内の電器店主は「今後10年間、1500軒分の需要が消えてしまった」と嘆いた。送った家電メーカーの団体は「長崎県や通産省から『困っている』と聞き、役に立てばと贈ったのだが……」。
 また、島原市新湊の米店、横田玲子さん(42)は「救援米が大量に届いた時はありがたいと思いました。ただ、避難先から電話注文だけで細々と商売していただけにショックでした」と言う。
 長崎県の調査では、商工関係の間接被害は1100億円を上回っている。商工業者のことを考えれば、地元に金が落ちる工夫をすることが大切だ。島原市に〝工夫した先例〟がある。市は、送られてきたコメ券で、市内の米屋からコメを購入、仮設住宅に配った。また、義援金を市内だけで通用する金券に換え、全世帯に2万円ずつ配布、商店街に喜ばれた。地元での購入には、救援と経済活性化の二重の効果がある。
 救援方法については、個人と企業・団体とに分けて考えたい。個人の場合は「現金を送る」と原則にしたらどうだろう。企業・団体は、送る物資が本当に必要かどうかを被災地に確認し、必ず地元の商店を経由することを提案したい。
 一部の商店だけが潤うことに、被災者の中から反発が出る可能性はある。しかし、島原市万町の電器店、森本吉子さん(57)のように「災害で店が潤うなら、利益は一部寄付する」という人もいる。地域への復興への思いで、反発は乗り越えられると信じたい。
 金や物以外の支援もある。被災当初の3カ月間に、延べ2000人のボランティアが島原で汗を流した。ここでも企業・団体にとっての先例がある。NTTの労組と関連会社は「市の職員同様に使って」と、食事や宿舎を自分たちで確保した上で、20人を派遣した。混乱の中で全く手のかからないボランティアは、大いに歓迎された。
 心の交流も立派な支援だ。島原市役所には2万4000通もの激励の手紙が保管されている。十数枚ずつ市役所の玄関に張り出され、市民を勇気付ける。また、岩手県室根村の上折壁小は「被害が終わるまで続けましょう」と、火砕流で校舎を失った深江町の大野木場小と交流を始めた。大野木場小の高柳忠昭校長は「子供たちは思いやりの心を肌で学んでいる」と話す。
 要は、被災地の住民の立場に立って考えるということだ。想像力と思いやりが、善意をより大きくいかすことになる。

《毎日新聞「記者の目」 (1994年3月26日、西部本社朝刊)より転載》
by ykfksm | 2004-11-02 16:46 | 雑記
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